山の上

だいたい自分のために書いてる

パパ/活は単なる金銭のやり取りで、サブカルチャーというよりは犯罪の領域で語られるのかな?という印象を受けた。自分がそれらをカルチャーだと呼びたいのは、現代の援助交際的なものにおいてインターネットがお互いを斡旋するに従って、双方が相応しいように変身していることだと思う。金をもらうに相応しい女性像というのがあって、個性を覆い隠すようにそれらに擬態して、マナーや振る舞いを身につけ、実際に人の前で実践することに、一貫するパフォーマンス性を感じる。

愛媛の滞在を終えます

 あっという間に、二週間が過ぎた。1月後半からアメリカに行く予定だった自分は、なぜか二月を愛媛で過ごした。大量の本を読み、制作について考えるために来た。アートを真面目に取り組みながら、それらを巡る貨幣・経済について美的なものを見出したいというオーナーと毎晩熱い議論を交わした。絵画のことを教えてもらって、私は写真の話をした。

 

 

 

 屋久島に行った時に同行していた知り合いが香川県出身で、彼から聞いていた「四国は星が綺麗に見える」というのは本当だった。晴れていれば毎日星が見えて、冗談ではなくそれらはキラキラ光っているように見えた。星が燃えている、いや、RGBが回転している。

 

星が見えた時、私は「東京から星が見えないのは結界が張られているからだ」と思った。空を見上げても何も見えないのは楽であると言いたい。

星が見えすぎると疲れてしまうし、考え過ぎてしまう。

月が明るすぎると、夜なのに自分の影が見えて、昼と夜の境目が曖昧になってしまう。

 

疑いようがなく、東京は現実逃避の街だと言い切れるだろう。それはいつも私たちが触れられる何かしらのオブジェクトが、思考をうまく妨げてくれているから。山の麓で真面目にのんびり暮らしていたら、私は「都市が思考停止を手伝ってくれるのは悪くない」と、度々思うようになった。

それでも私はまだ自分の心に負担をかけたい。より共同体の外へ移動し続けたい。同時にそれも確信するようになった、そんな二週間だった。

 

 

 

 

 

弾丸広島一人旅、回想の数々

 松山(愛媛県)から広島にフェリーが出てるんですよ。知ってた?しかも学割があって、呉までだったら二千円代。広島は3200円かな、瀬戸内海横断にしては安すぎるので、かなりオススメです。船内はwifiもコンセントもあってめちゃくちゃ快適だったし。

 

はい。

 

日記を昨日書こうと思ったのが、すっかり忘れてしまったので今書きます。現在は松山に戻るフェリー待ち。以下の数々は今回の広島旅のなかで感じたものです。

 

どうぞ。

 

  • 三原で一泊。近くにジャズバーがあったから行った。寺山修司の短歌を暗記しているなぞのおじさんたちがカウンターにいて、二つ席を開けたところに座った。後からマスターに聞いたところによると、そのうちの一人が文学者で、シェイクスピア研究をしているらしい。

  • そういえば、バーに行くのは久しぶりだった。いまだに、未成年の時に行った回数の方が多いのだ。もちろん人に連れられて。あの時、働いていたおおよそ8ヶ月間のうち、うまくいったのは中5ヶ月くらいだったと思う。朝3時くらいまで人に付き合ったりして、それなりに大変だったけど悪くなかった。その場所で働いていた__さんに、私が恋人と別れた次の日に言いよってから親しくなり、よく仕事が終わって何もないときは店から離れたところで待ち合わせてご飯を食べたりした。その人とよく行っていたバーは2年前に閉店してしまった。あの店にいた同い年の女の子や、その人だって今どこにいるかわからない。

  • 尾道の商店街。ブティックと喫茶店が多い。その中で見かけた宝石店のショーウィンドウをなんとなくみたら、ジュエリーのデザインがことごとく古い感じを漂わせていた。ブティック店だって、店そのものが古っぽいんじゃなくて、実際商品の一つ一つがそれっぽさを持ってるよなあ、と思いながら見ていたら、ふと、小学生の時に男の子から指輪をもらったことを思い出した。すぐ失くしてしまったけど、もらった時の嬉しさといったら、今でも言葉に表せない。でも今日の暖かい気温—今日の広島は18度あり、松山を出る時に1度だったために着てきたダウンが非常に邪魔だった—からも、その当時のことを思い出させられるヒントが見出される。千葉県から遠く離れて、瀬戸内海ではいつもの旅と違い、「なんで私はここにいるんだろう」とは思わなかった。尾道は豊かな場所だ。

  • 原爆ドーム横のベンチでボケーっとしてた。ギャル男が連れている女性に解説してるという様子を何回か見かけた。広島のギャル男は終戦に詳しい。

 

 

 

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カールセンについてのテキスト抜粋&翻訳

[Western] Modernism, which over the course of less than forty years gradually yet rapidly abandoned artistic aspirations towards literal realism(現実主義) and depictive representation(描写), in favor of fragmentary abstraction and often crypticクリプティック conceptualism.

西洋的モダニズムは40年弱の時を経て、しかし急速に、文字通りの現実主義や描写表現などの芸術的願望を放棄し、断片的な抽象や奇妙なコンセプチュアルを支持するようになった。

 

 

Bataille attributes this accelerated evolution of Art – and its “ren[unciation] of the real world” – to a more general cultural need for “extreme states of being”, which he argues cultivate a healthy sense of “freedom”, both individually and collectively. In this sense, he formulates that the contemporary function of Art is to provide society with extra-ordinary experiences outside those of direct action, which lead to “extreme states of being” – of disorientation, potential revelation, possible epiphany and prospective redemption – now that religion no longer serves such purposes.

 

バタイユの貢献は芸術の発展を促進した。芸術が「現実世界を放棄する」こと。彼はこのような極限状態が普遍的な文化において欲されるよう、個人的にも集団的にも健全な感覚としての「自由」を育むような議論を巻き起こしている。そのような意味で、彼は現代の芸術の特性というのは直接的で極端な行為を伴って社会へ刺激を与えることである、という常識(公式)を作り上げようとしている。それによって、見当もつかないような状態や水面下での暴露、現実的な悟り、そして将来性のある救済を導く「極限状態」というものが成り立つ。現代において、宗教はこのような用途を達成することはできないだろう。

 

 

In 1932, the photographer Ansel Adams firmly declared, “In a strict sense photography can never be abstract, for the camera is incapable of synthetic integration.” Yet since the turn of the millennium, as digital technologies have advanced and almost entirely subsumed包括 the creation of photographic images at a blistering猛烈な pace, the camera (and its associated technologies; today image-oriented software such as Photoshop rather than the traditional darkroom) is now certainly more than capable of “synthetic integration”, and artists such as Carlsen are taking full creative advantage of such advancements.


1932年、アンセル・アダムスははっきりと、「厳密には写真というものは決して抽象的になることはできない。写真機は合成的統合が不可能だからだ」と宣言した。ミレニウム世代になってからもデジタルテクノロジーは進化し続けており、劇的な速さで写真の制作を全体的に網羅している。カールセンがデジタルの利点を幅広く活用しているように、写真機(暗室ではなくフォトショップなど、今日に写真に関わる技術)は現在、確実に「合成的統合」が可能だと言えるだろう。

 

 

Initially, Carlsen began his career as a photojournalist and crime-scene photographer, but then quickly turned away from using photography as both an act and a representation of “direct action”, instead building his artistic reputation by turning both the aesthetics and traditions of such “evidential” and “documentary”-oriented practice on their head through the use of seamless, digital photographic manipulation. In his debut body -of -work as an artist, WRONG (2008-–2010), Carlsen presented a series of freakishly異常に、意表を突く surreal, hallucinogenic and often disturbing black-and-white photographic scenes in which the “real world” has been transmogrified via Photoshop into an surreal hyper-reality, haunted by globular小球体、球状の monoliths, bug-eyed creatures, trans-species multi-headed monsters, crudely constructed wooden-legged cyborgs and more.

カールセンは犯罪写真のフォトジャーナリストとして写真のキャリアを開始したが、写真を用いた「直接的な表現」から身を引いた。その代わりに境界なく風通しの良い環境で、デジタル写真で美学と伝統的な「実証」や「ドキュメンタリー」を構成することとなった。彼が身体を使った作品「WRONG」でアーティストとしてデビューした。意表を突くような作品群はどれも不気味で、フォトショップを通して球体の物体や虫の目を持っているような生物、木でできた脚のサイボーグのイメージなどを生成し「現実世界」を超現実へ一変させる。それらは度々モノクロ写真の界隈を騒がせてきた。

 

 

 

www.asgercarlsen.com

 

バレンタインには肩揉み券

 昨夜、地震があった。この事実を最初に持ってくる理由は、半年後にはこの自身の衝撃を忘れているからだと思ったからである。

 

 私がツイッターで「42歳と『バレンタインには肩揉み券かなあ』って電話でヘラヘラしてたら地震きたらしくて急に焦り出してた」と呟いた通り、昨日は偶然に電話をしていた。

 

 それに至るまで。昨夜は今の滞在先のオーナーと一品ずつご飯を作り、良い夕食の時間を過ごした。美大には時々とんでもない金持ちの子供がいたりするよねと話を振られて、私はそこまでの大金持ちの子孫が友達にいなかったので、オーナーの同級生で六本木ヒルズ住まいの韓国人学生の話を聞いた。楽しかった。うちの大学にもどこかにはお金持ちの人間がいるんだろうけど、私はあまり交友関係が広くないのでわからない。

 

 そのあと家で取れた柚子を使って柚子風呂に浸かり、なんとなく酒を飲んでいて、ふと42歳が女といないか確認がてらに電話をかけ続けていた。向こうはバーで次のコンピレーションCDの打ち合わせをしていて、解散後にすぐ掛け直してきた。そのバーは私も一緒に行ったことがあるので、報告を受けてなんとなくホッとしていた。相手が新宿で乗り換えて電車に乗り、動き出したすぐくらいに地震が来たのだった。その直前までヘラヘラしていたのに、急にシリアスになったからこっちもびっくりしてしまった。なんせ四国は何も起こっていない。静かで真っ暗な夜。オーナーもすでに寝ていて、広い空間に、六人が座れるダイニングテーブルに、酔っ払っている女はひとりで、東京の人間とインターネット回線で繋がったまま現地とは違う焦燥を感じている。

 

 実家は停電した。そうか、10年前も計画停電があった。電気か。電気か…。福島に通っていたので、以前とはリアリティが違った。当事者ではないが、遠い当事者ではある自分も、原発のことを思い出すのはひどくつらい気持ちになる。

 

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