山の上

だいたい自分のために書いてる

水中の糸

今回は生々しい話があるので苦手な人は見ないほうがいい。

 

 




 自分はうっかりで人を傷つけることがある。本当にうっかりやらかしてしまうので、今もこのように、他人事のように書いてしまう。一瞬自分が何をしているか自分でも理解できない時があり、その時私は罪の意識はないし、相手が何を考えているかも、これを言ったらこの状況がどうなっていくのかを思考することは全くない。

 

そんなことが度々ある。私は口を滑らせることはないものの、「共通認識」として捉えていた事象を口にした時に、発言してからそれが「共通認識」ではないことを悟り落ち込んだりする。今日もそのようにして人を傷つけてしまった。それも、運悪く、自分がされたら今後かなり引きずるであろう事柄だ。

 

 

 

 相手はこのブログではよく出てくる恋人らしき男性で、私は熱心に?いや、単に、勝手に近くにいる。もう2年以上経った。その人は、彼自身が年齢相応に生きることにとても気を遣っていて、それは彼自身のためだが、そうとはいえ私に対して情熱的な交際(扱い)をしないので、てっきり私は、この関係を私の一方的なものと思っていたのである。


いや、確実に一方的だったはずだ。いいや、相思相愛なのだろうか。よくわからない。いや、実はよくわからなかった、今日まで。

 

今日の出来事は喧嘩だったのかもしれないし、バトルをしているわけではないから喧嘩とはいえないかもしれないけれど、とにかく私が勘違いのきっかけを作ったことには疑いの余地はない。ただ、相手が勘違いをしたことがすごくすごく印象的だった。

 

相手が(私の引き起こした)勘違いをしたことで、私に対しこれまでになく嫉妬した。それにはとても感動したし心の底から興奮した。相手は見るからに不機嫌で怖かった。暴言も暴力もないけれど、話しかけないで欲しいオーラがあった。

そんな側からみたら険悪なムードの中、私は心の中で、心臓から液体が滲み出すような喜びがあり、口角が上がるのを抑えるのが大変だったし、涙を堪えた。もちろん嬉し涙だ。嫉妬心が愛おしい。これは泣けると思った。

 

 

相手は体の中にドッと湧き出した嫉妬心を心の底から嫌悪していた。


仲直りした後。交わりながら、相手は「嫉妬するなんてみっともない」と言った。動きを止めて話して欲しいと伝える。

その後、私はこう聞いた。「みっともないっていうのは、年齢だから?それとも、自分がたぶらかしてる相手に嫉妬するのがみっともないってこと?」

相手は「もうおっさんなのに」と答えた。

 

ああ、そうなんだ。おっさんだから嫉妬しないことなんてないのか。恋愛や情熱は、年齢でも解決できない不快さを常に発生させる、罪深いものなのか。愛おしさの前では、加齢は何も助けてくれないんだ。私に対して興味なさげに接してきていたこの人にも、情熱的な何かがあるらしい。この人は、不快で、不快なあまりに人を寄せ付けないような雰囲気すら構築できてしまう。私は他人の心の中に、言葉にできない不快な何かを生み出してしまった。一人の人間がこんな近い距離で自分に狂わされているのが実感できた。その末、なぜだか「この人は私のことが結構好きなんだなあ」という平凡で雑な感想を得た。

 

 

 アフターケアが難しいと感じたのは久しぶりだった。私は恋人とのいざこざがあったあとは、より相手を大切にせねばと一層優しくするけど、その時になんとなく「好きだよ」と言ってみたら、その言葉がどんどん嘘のように聞こえてきてしまうことに気がついた。「好き」の上位互換はほとんどないだろうと思っているので、雑に最上級を使用してしまうことの危うさを実感する。


一連の事件よりもこのことの方が問題だった。そして、お互いにそのことには敏感になっているように思えたのだった。無意識にいつもより目を見つめて会話をしていた。特に相手がよく私のことを見ているのがわかった。頰で擦り寄ると、重なる頰の面積がいつもより広く感じたけどそれは多分偶然だろう。

 

 

 


あ、あ、今、この人は私に向かって話している。

いつものように言葉がテーブルに反射することはなく、喉から発された言葉は眉間あたりで受け取られている。音と視線と、空気と、二人の間の空間がよじれずに、まっすぐに二人の人間を張り詰めた糸が辿っていく。水の中みたいな、原子の単位で変動することのない確実な空間へと変わっていく。この人が、しっかりと私の目を見て会話するほどに私のことが大事で好きなのだとしたら、私はまだこの人のことをよく知らない。