山の上

だいたい自分のために書いてる

ギャル魂(仮)←全然そんなことない

 アメリカに来たら一応、ヴィクトリアズシークレットにはいくことにしている。高校のいけてる女子たちが、海外旅行のついでに買い物していたイメージ。まさに日本ではあまり流行らなさそうな派手さの下着ブランド。とりあえず行かざるを得ないという感じで、最寄りのバスに乗る。

 

 バスは十五分遅れでやって来た。バスは中華街を横断するように運行していて、英語が通じないアジア系の人々も一気に乗せて西へ進む。バスの中から、中華街のありとあらゆる看板を次々に眺めた。スーパーマーケットというよりは八百屋に近く、家電量販店というより多様な工具店と言った方がニュアンスは正しい。

 乗車して十分が過ぎた頃、運転手と乗車してきた中国人男性が口論を始めて、車内が一気に物騒な雰囲気になった。仲介したい気持ちと、わたしが英語に不慣れなためにそれができない現実があった。モヤモヤしていたら口論が終わっていて、いつも通りの車内の景色に戻っていた。

 

 昼過ぎには、日本でいう西陽の光が差し込んでいる。固いシート。状態の良くない道路で、バスは頻繁に上下に揺れる。バス停の前には当たり前のように自家用車が停まり、乗車しようとする人々は多少離れて停車するバスを、絶対に見逃さない。車内では、大声で電話をする人たちの声が常に耳の奥を刺激する。

 

 中華街を抜けると、徐々にアメリカらしい一軒家の連なりが広がり始めた。三月後半だが、全体的に茶色。景色からは、冬真っ只中のデトロイトを思い出す。殺伐としていて、あまり暖かさは感じない、複製され続ける孤独な集落。日本の住宅地もアメリカの住宅も、どちらも好きじゃないな。バスはフリーフェイの入り口と並走した。中華街のローカルな店舗の列はすでに見えなくなり、疎外感を感じる。

 小さな店同士で助け合い生きていくという溌剌とした文化をもつ近所の中華街一帯に、わたしはどれだけ元気をもらってきたか。バスの待ちぼうけをくらっても許せるのは、アメリカ文化の端くれだとしても、わたしが郷に入れているという証だろうか。一般的な都市の景色に選ばれない郊外、郊外以上ニュータウン未満が、一番ときめく。