山の上

だいたい自分のために書いてる

アメリカに留学しました(きっかけ編)

アメリカに1月から8月まで留学しました。第一弾としてこの文書を書く。

留学に行くぞと決心したのは去年(2018)の9月。あんまり人に言っていませんが精神が大変で5月ごろから大学に行けなくなっていた。何がそんなに大変だったのか、当時言語化しておけばよかったんだけど残念ながらしていない。でも確実に言えることとして、また実感として、自分はかなり浮いてたし大学みたいな大人数の若者が集まる場所は当時も今も超苦手で辛い。なるべく行きたくない。というか学校はいじめられに行く場所という印象が大きすぎるので、他人が自分をどう思っているかをやけに気にした。んで、気にされたくないから行かなくなったのかもしれない。どっちにしろ真相はわからない。一年以上前だし。それで自分が色々考えた結果、はたまた何も考えていなかったのか、親に大学を辞めたいと話したのが最初のきっかけだと思う。私は一人暮らしをしていたので、親は私の事情など何も知らない時に突然こんなことを言われたはず。確かお母さんに伝えた数日後、お父さんに新大久保のコリアンバーベキューに連れて行かれてそこで休学を勧められた。その間に留学してインターンするのが良いみたいなことを言ってくれたのも親。それまで自費留学というものはお金の有り余ってる超富豪の子供しか行けないものだと思ってたのでびっくりだった。ありがたい(この話が出る前の8月、私は貯めた20万でフィリピン留学する予定だったんだけど、アメリカ西海岸と屋久島に行ったらどうやらお金は無くなってしまったようなので行けなかった(バカ))

アメリカに決めた理由は既に二回行ってて若干の現地感覚があったこと、信頼できる現地の知り合いがいた事、二回行ってるのにまともに会話すらできたことがない事に対してのリベンジ、写真の勉強の機会が多そう(これは完全に推測でした)など。当時はニューヨークとロサンゼルスで決めかねており、結果として9月後半にニューヨークに視察に行くという贅沢なことをさせていただきました。ロサンゼルスは7月に仕事で行ったのでなんとなく把握していた。

ニューヨークに決めた理由は現実的に考えて電車が充実してることが一番大きかった。でもそれと同じくらい、日本にいた時からの知り合い、Rei NakanishiくんとNY視察の時に再会して、現地で数人知り合いを紹介してもらった時に、なんかこうみんな尋常じゃないパッションを持ってて、接しててかなり胸熱になってしまったことが大きい…。この人たちが頑張っているのはもちろんのこと、彼らがこの街やここに住む人々から刺激を受けてるんだと心から納得した。ここでは良いルーティーンが生まれてるんだ〜と思った。こんな感覚は久しぶりというか多分今まで感じたことなかったから、その時こういう場所が地球に存在すること自体超嬉しかったし文字通り胸がワクワクした。それともう一つ、視察の期間に丁度MoMAのPS1というモマの別館にてNYABFがやっていて、私の最も尊敬する写真家Gragory Halpernが写真集についての対談とサイン会を無料でやっているというニュースを手に入れた。そこで私は彼の話を一時間ほど聞いて、何も理解できなかったにも関わらず、その後のサイン会で列一番最後に並び(時間をたくさん取るために)なぜかアシスタントにしてください!と申し出た。なぜそんなことを言ったのか、、、と、言った瞬間に後悔したけど、そしたらまさかの「普段は郊外に住んでるからアシスタントは雇ってないけど、忙しい時には頼むわ」との返事と共に連絡先をもらった。今考えたらとりあえずはぐらかすための言葉だったんだろうけど、その返事は素直に嬉しかったし、また彼に会える機会があるんだと信じて止まなかった私は完全にニューヨークへの留学を決意したのであった、、、、、、、、。。。。。。

 

 

続く。