山の上

だいたい自分のために書いてる

同性の友達が必要だと思った日

 まさか21になっても友達ができた話をするとは思ってなかったけど大切な出来事だったので書き留めておく。

 

 彼氏が大学で入ってるアカペラサークルの大会に行ってきた3月8日、何となく不安があった。そのサークルのメンバーとは前回の渡米の時に会っていたんだけど自分の英語に自信が無さすぎて全く喋れていなかった。サークル全員が集合している前で彼氏が堂々と私を紹介したので全員が私のことを知っているけどまともに喋った人ほとんどいない。気まずすぎて死ぬ。彼氏の前では依然話せるし生活する上での会話はできるけれども、大学生の集まりみたいな中で面白い話とかは全然できないし、ネイティブの集まりでトピックすら理解できないときもある。留学後のブランクって怖いし、彼氏がいかに難しい言葉を私に向けて翻訳して接してくれてるかがわかる。

 

 そんなもんだから、アメリカ人だとかネイティブの友達は本当に少ない。去年参加した写真のワークショップで仲良くなったマシューとティムくらいだし、この二人だって頻繁に話すわけじゃない。(そもそも二人ともニューヨーク、ニュージャージー在住だしかなりご無沙汰…) 

 

☀️マシュー(Matthew DeNicola)の作品

https://instagram.com/mattiopattio?igshid=17ara2ewn3oxn

 

☀️ティム(Timothy Lyons)の作品

https://instagram.com/timothycharleslyons?igshid=qiiw7likdvik

 

というか、友達といえ彼らですら普段遊びに出かけたことすらもないので、本当に近しいネイティブの知人とえば彼氏しかいないんじゃないかと思う。留学先も環境がまさに人種の坩堝だったので、同級生でネイティブスピーカーと知り合える機会の方が稀な気すらしてくる。家も中華街とメキシカンネイバーフットとジューイッシュネイバーフットの間で、カオスな環境だった。(住んでたところに関してはそれが好きな理由だからいいんだけど) 語学学校の友達はもちろんのこと、関わるほとんどの人がアメリカにルーツを持たない人だとか、持っていてもその意識がかなり薄い人だった。

 

 そんなこんなで、アメリカ人の彼氏を通じて繋がる同い年の人々が、ある意味私にとって初めての"アメリカ人"だった。彼氏はできるのに、友達ができないのは本当に不思議な現象だから誰か研究してください。わたしは今の彼氏以前にも英語がネイティブの恋人が二人もできたのに、前述したように友達は全然いません。たぶん私みたいな人世界に結構いるんじゃないかと思うけど(真実は知らない)どうして?好きなら言語の壁乗り越えられる的な?

 

 そんな気持ちで3月8日彼氏のいるアカペラ大会の会場に向かう。彼氏には会いたいけど、彼氏の友達に話しかけられても上手いこと言えないし、本当に憂鬱で辛い…でも彼氏の友達のこと嫌いとかでは全くなくて、そこまで喋れない自分が嫌いなだけで…とか考えてしんどかった。風邪ひいてて熱出てたけど、ウーバーも乗りたくないから1時間弱歩いて会場に行った。aiko聴いて誤魔化してた。

 大会は面白かった。6グループがそれぞれ15分くらいの尺で、インド音楽のエッセンスを取り入れた曲をパフォーマンスした。この話はまた長くなるので別の記事に書く。

 

 結果、彼氏のいるグループは3位だった。それはよかったけど、アフターパーティーが問題だ。アメリカの大学生のイベント打ち上げなんてどうなるかわからない。どんなパーティーなのか全くわからないにもかかわらず心の底から行きたくないと思ってた。人との関わりを考えるだけで疲れていたので、「なるべく人との関わりを減らして今日は寝させてください…」みたいな気持ちでいた。ちなみに彼氏のサークルのメンバーは日本の大学生の陽キャみたいな下品な人々ではない(失礼)。真面目で気さくでユーモアもあって、普通にイベントを楽しめるタイプの人々の集団だから、明らかに私が狂っていてパーティー嫌悪なだけ。

 

 22時ころ、大会が終わってホテルに戻る。ホテルの4部屋くらいをサークルの15人くらいで分割して寛いだり服を選んだりしている。わたしはてっきり、この2時間がアフターパーティーなのかと思っていた。私は隅のソファーに座ったり、彼氏の近くにいたり、たまにニコニコしたりしてた。なんだ、アフターパーティーってこんなもんなんだ、よかった、と思ってたら部屋に大会スタッフの女の人が入ってきて、「バスは23時40分に出発しますので〜」と伝えて去っていった。どういうことだろうと思ってたら、アフターパーティー夜の12時からで、みんなでナイトクラブに行く予定なのだという。それを瞬間「ほんとに嫌だ、行きたくない」と思った。

 

 23時20分頃になり、皆んながドレスアップしてホテルの一つの部屋に集まって前飲みが始まった。大会で三位になったお祝いのウォッカを全員ショットで飲み始めるという、もうインキャにとっては辛いイベントが起きた。悪ノリじゃないとはいえ着いていけないし、着いて行きたくない。わたしはサークルのメンバーの彼女ってだけで、私はパフォーマンスもしてないから三位でもない。祝いのムードには馬違いだと思う。彼氏に連れられてるとはいえ、そもそも彼女ってだけで色々サークルのイベントに混ぜてもらったりしてるけど、それすらかなり傲慢で自分ですごいしんどかった。それに今日ナイトクラブに行くなんてもう限界だと思ったから、彼氏と一晩でも離れるのは嫌だけども、彼氏に耳打ちで「アフターパーティーには行かない。いまから帰る」と伝えた。

 

 勿論止められたけど、無理やり荷物を持ってホテルの部屋を出たら廊下で説得が始まった。「私の分のアフターパーティーのチケットはもう買ってあるから」から始まってとにかく行こうよ攻めだった。「わたしはクラブのメンバーじゃない」と言ったら「はなたすもメンバーだよ。このクラブみんながはなたすのことが好きだよ」と返され、「クラブみたいな人が多い所は怖いからあんまり行きたくない」と言ったらやけに悲しそうな顔をされた。「来て欲しいけど、行きたくないっていうならそれを尊重する」それまで強気に出てたけれども悲しそうな顔をされると辛いので負けてしまった。完成されたコミュニティに突然しかも言葉も曖昧なまま放り込まれるのがいかに辛いことか伝えたかったけど、もう疲れて何も言葉が出なかったので諦めた。でも今考えたら、完成されたコミュニティとはいえ皆私のことを受け入れてくれてたから、これも私の被害妄想的な部分が大きいと思う。

 

 仕方なくホテルの部屋に戻った。皆んながナイトクラブに向かうバスに乗るため準備していた。また彼氏のご厚意で何か機会を与えられるんだったら断るのも失礼だなと思ったので頑張ってでもテンション上げようと思った。荷物を準備していたら、改めて彼氏に笑顔で「本当に、パーティー行くことにしたの?」って聞かれたので、行くよと答えたらとても嬉しそうだった。

 

 皆が部屋を出て行く中、持ってた精神薬を全部飲むという謎のODに走りながら心の準備を整えてたら、アレクサ(四年生の女子でちょくちょく話す方)が来て、大丈夫だから行こうって言って強制的に連れて行かれた。

伝わるかわからないけど、留学後の今までアメリカにいる時間の大半を彼氏としか過ごさず、周りがゲラゲラ笑うような会話を理解できないような時が大半で自分はとても孤独だった。それに、今まで孤独だと気づかなかった。もしかしたら紛らわしてたのかもしれない。とにかく、彼氏と一緒にいればどこにでもいけると思ってたけど、本当はそんなことできないとそれまで気づかなかった。アレクサが手を引いて遊びに行こうって言ってくれて、これは"彼氏の友達"じゃなくて、"友達"だと思えて、その瞬間意識とは関係なく涙が出てきた。私は本当に友達が欲しかったんだと思う。それも同性の。自分のことなのに他人事のようだった。それくらい勝手に涙が出てくきた。ホテルの廊下をアレクサに引っ張られながら歩く。アレクサは泣いている私に大丈夫だからとだけ伝え続けながら歩き続ける。その一歩後ろを私の彼氏が、なんで泣いてるの?!みたいなことを言いながら追いかける。「アレクサがパーティーに無理やり連れてってくれたのがすごい嬉しい」と彼氏な伝えたら「ずっと自分も誘ってるじゃん!!!」って言われたので「そうだね〜(涙)」って返した笑。これも中々伝えるの難しくてうやむやにしちゃったけど、今度ちゃんと話そうと思う。

 アレクサと彼氏が泣いてる私を抱えながらホテルを出て行く光景を私自身とても見たかった。多分面白かっただろう。

 

 凄かったのが、ホテルからナイトクラブまでのバスが貸切のアメリカのスクールバスだったことだ。あの映画で観る黄色いやつ。あれに乗って、二人の座席に三人ぐらいが座って…あれは夢みたいだった。まだ涙が止まらない私はバスに乗ってる間アレクサと彼氏の手を離さないでいた。アレクサが飲む?って言って渡してきたミネラルウォーターのパッケージのペットボトル、飲んだら柑橘系のアルコールだった。多分アレクサはかなり酔ってると思う。酔っ払ってて記憶にないまま私の手を引いてたとしても全然いいやと思った。泣いている私を抱きしめてくれたオリヴィアもありがとう。

 バスに乗り込むと、アカペラサークルらしくずっと大合唱だった。ビートボックスもいるので、全部の曲がちゃんと曲になっていた…と言ったら失礼かもしれないけど、すべての曲が綺麗だった。窓の若干空いた奥に長いスクールバスは、テキサス・ダラスの中心街に向かってフリーウェイを走っていく。渋滞の無い夜中の道路を駆け抜けるスクールバスと、その中で止まない歌声の光景にまた泣けてくる。特にダニエルシーザーの曲を連続でやってくれたときには心底感動した。

 

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バスの中

 

 窓からダラスの夜景が見えて、5分くらい走るとバスがナイトクラブの会場の近くに着いた。若干治安の悪そうな通りだった。アメリカ特有の黄色オレンジみたいな街灯が並んでいる。アレクサが私もあなたのことが好きだし、このクラブもあなたのことを愛しているよ、と抱きしめながら言ってくれた。わたしはもうありがとう、ありがとう…としか言えなかったけれども、今考えてもあの状況で言葉は何も出てこなかった。

 

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その時撮った写真

 

 

 精神薬の効き目もあり、そのあとクラブではパッチリでアメリカのヒットソング何も知らないにもかかわらず結局は楽しんだ。そこのナイトクラブはまさにナイトクラブで世間にイメージされるようなチャラい箱だったけど、友達がいたから大丈夫だった。友達かー

友達かー…

 

友達ができて嬉しかったな…

 

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その翌日はオフで、みんなでショッピングモールに行ったけど自由行動だった。SEPHORAで化粧品を試しまくった。「アメリカで、友達と、それも女友達と、無駄な遊びができてる」事にまた感動した。学校で会って話すとかじゃなくて無駄な遊びができるってすごい事だと思って、その時もすごい嬉しかった。

 留学始まってから一年後の今、やっとここまで来れたのかあと思ってしみじみするとともに、ここまで長かったし、異国で生活するのって本当に大変だなと感じている。だけど一つ乗り越えた感覚がある。私はこの一件だけではなく彼氏との旅を通じて更にアメリカが好きになったし、将来の夢の一つはニューヨークに住む事なのでまだまだ道は長いけれども、多分この日は忘れないと思う。きっと長く付き合っていくと思える人とまた出会えたことが嬉しいので、まだもうちょっと生きるかーという気持ちになった。