山の上

だいたい自分のために書いてる

読書デート

申し訳ない気持ちもあるが、引きこもり同士なので週に一回デートをする。コロナ以前も同じく週に一回とか二週に一回とかのペースだった。

わたしは学生なのでなんとも言えないが相手はフリーランスで元々外に出る仕事ではなかった。だがご存知の通り、最近は仕事で外に出る機会がいつにも増して少ない。そのため、わたしと彼は読んでない本を消化しにガラガラの喫茶店に二人で向かい、会話もしないように心がけつつも、一緒にいる時間を愉しむ。

 

会うときはいつもマスクを着けている。

わたしはは表情が豊かな方だと思う。ほおに筋肉が少しあって、唇も厚い。だからこそ、いつもマスクは喋るのにすごく邪魔だ。なにか、コミュニケーションのクオリティが下がる気がして、ちょっと辛い気持ちになる。しかも、自分の可愛らしさが半減したような気持ちになる。

相手は、唇をぼそぼそと動かす喋り方をする。だから、わたしは彼にはマスクはあってもなくても変わらないだろうと思っていた。いざマスクを付けていると、ひどく違和感があるように感じた。だからと言って外すわけにはいかないんだけど。

 

中野駅で落ち合ってから、あるジャズ喫茶に向かった。わたしは紅茶とチーズケーキを頼んだ。英語の勉強に取り組む間、かれがJPOPの批評を読んでいるのをチラチラと見ていた。

わたしはJPOPを総括するには知識が足りないので、この批評をチラッと読んだ時は全然理解不能だった。かれは半分残っていた本を3時間ほどかけて読み終えた。わたしは3時間ほどかけて新しい英語の勉強や、過去の振り返りなどをした。

 

 

相手が本を読んでいる間、時々相手をちらっと見たり、数秒見つめたりするけど、こっちに一切目もくれない感じがとても良い。

気づいて欲しいわけじゃなくて、わたしがただ単にその人のことを見ていたいだけ。存在してることを知りたい。相手と一対一で対に座り、話しかけたり触れることもなく、相手を見ることはわたしにとっては贅沢な時間だ。触れられる状況にありながら、あえてそれをしないことが、わたしに撮って特別なことだった。

 

ここで書くことではないから書かないけど、相手は色々と疲れていた。疲れているひとや、傷ついている人を慰めたりするのは得意じゃないけど、一緒に怒ることはできる。だから、わたしはそうやって人の気持ちに寄り添いたいと思っている。

ほんとうならば、私たちは日頃のストレスを口に出して楽になるために集まっているはずなのだ。在宅生活のしんどさであったり、自分の関係のある場所が消滅していく現状、そして自分の経済的な状況など、年齢が違うとはいえ、共有できることはあるはずだった。

だけど、いいことやらわるいことやら、わたしも相手も、会った瞬間に「悪いことを話す」目的を忘れてしまう。

会った瞬間は決まって「あ、いた」。

「どうする?」

「天気いいね」と言って空を仰ぐ。大体私たちが会う日がことごとく晴天になるのは、本当に不思議な出来事だった。もしも土砂降りの雨の日がデートの日に被ったなら、わたしはあんまり人に伝えてない"新宿駅近くのちょっと上品なバーホール"で待ち合わせをするつもりだ。 

 

話がずれてしまった。読書デートがなぜ良いか。それは、好きな人に話しかけることをせず、単純にわたしとあなたが同じ空間に居ることを実感する のがとてもリッチで贅沢であると思うからだ。単に自分と相手が仕事で忙しいのもあるし、中略しても、とりあえず私たちは一緒に暮らせない。だけど、わたしは一人勝手に、一緒に生きていくことはできるものだと思っている。究極のメンヘラで嫌になっちゃうな

 

茶店の奥に見える新井薬師の商店街を遠目に見ると、昼は違って店の明かりがぼやぼやと見えた。「今日も終わりか。今日やったことといえば、人と会って、数時間ノートと辞書を見つめたことくらいだ。」

 

デートはタイムリミットがあるから尊い。だから"デートしかできない身分"でもわたしは全然良いのさ、と思える。相手がわたしのために人生の時間を割いてくれてるだけ、それだけでも私は愛だと思ってるからね。本当に。