山の上

だいたい自分のために書いてる

"わたしは待っている、到着を、帰還を、約束の徴候を。ときにはごくつまらぬものであるかもしれず、大層に感動的なものであるかもしれない。 『エルワルトゥング(待機)』では、夜半の森で女がひとり恋人を待っている。今わたしが待っているのは一本の電話にすぎない。しかし苦悩に変りはない。すべてが深刻なのである。わたしにはつりあいの感覚がないのだ。"

 

"「わたしは恋をしているのだろうか。然り、こうして待っているのだから。」相手の方はけっして待つことがない。自分も待つことのない者として振舞ってみようと思うことは多い。別のところで忙しくして、遅れてゆこうと努めてもみる。しかし、この勝負はいつもわたしの負けに終る。なにをどう努めてみても、結局のところわたしは暇なのであり、時間に正確で、早めに来てしまっている。「わたしは待つものである。」これが、恋する者の宿命的自己証明なのだ"