山の上

だいたい自分のために書いてる

相手のふくらはぎが想像より筋肉質なことに初めて気がついた

 また鬱が来たか。そうか。

 でも最近周期が早くないか?気のせいなのか?もうどうでもいい。来てしまったものに対抗する力はもう私には無い。いつだかわからないけど数日前から気分がわるく入眠障害があったが、もうそれ自体には慣れてきていたので何とも思っていなかった。毎回大変なのは感情の幅が大きくなることで、特に悲しみの状態に入りやすいのと、それがなかなか落ち着かない。普段から落ち込みやすいけど。

 

 だいたい毎週会ってる人とは昨日も会った。自分の体調に対して嫌な予感を持ちつつも会ったら最初はケロッとしていられたのに途中からダメになってしまった。いや、でもね、今回は自分の病気のせいじゃないんだよ。彼女の話をされてちょっと落ち込んでた。聞いたときはあんまり気にしないようにしてたけどやっぱりだめだった。ショックなことを聞くと、その瞬間は平気な振りをしてしまう。いやだなあ、と思ったのでした。

 

 それを言われたのが一緒に家を出て電車を待っていた時。そこから新宿に一緒に行って、自分たちの好きな新宿のタイ料理屋さんに久々に行けた。

 歌舞伎町のちょっと怪しいビルの三階にあって、怪しいバーの隣にある怪しいタイ料理屋さん。年齢層は今日もまちまち。喫煙はできなくなったようだった。ここに最初にきた時もこの人に連れてきてもらった。ホテルを出てお腹がペコペコだったので近場でどうしてもご飯にありつきたかった時に来て、二人で勢いのみで7品くらい頼んで、限界まで食べ続けた。いい思い出だ。

 

 昨日はそんな暴飲暴食はしなかった。久しぶりにお酒をゆっくり飲みながら、独立したアーティストやフリーランサーがいかにして大きな権力に飲み込まれないでやっていくか、みたいな話をした。あと親の話、DVの話。キューバの話。そしてキューバの、貨幣の話。なんでも話せる。キューバの音楽は観光化されてるから、ほぼ全くと言っていいほど音楽が発展しないらしい。どれも似たようなもので、変わった曲はだいたいアメリカの人がやってるんだって。

 

 いつも通りだ。向こうが喋ることに、ほへー、って感じで聞いてる時もあれば、自分がちょっとせかされ気味に話すこともある。昨日もそんな感じだった。

 

 今はまさに梅雨の時期で、この文章を書いている今も雨が振り続けている。昨日は豪雨が昼間に、少し強めの雨が夜に降った。私たちがレストランを出た時にはまだ雨は降っていて、鏡張りされたビルの入り口がやけにギラギラとして雨水を弾いていた。それを見ながら私たちは次の店に行くか行かないか談義していた。行くとしたら、飯田橋。どっちにしろ電車に乗るからといって新宿駅へ向かう。歌舞伎町から出るとユニカビジョンが眩しかった。街の明るさもいつもと変わらない。

 

 22時前。自粛中頻繁に会ってるとはいえ、泊まれないので(怪しまれるから)だいたいこの時間には解散することが多くなっていた。多分二軒目はないだろうなと思いつつもまだ少し一緒に居られるかもと若干の期待を寄せる。次行くか微妙な時は、勢いで連れて行くのが正解だ。この関係性なら。この関係性だから。

 

 

 そうしようかと頭をよぎったけど、なぜだか今日はあまり気が進まなかった。

 

ここ数日ずっともう会うのはやめようか考えていたので、いや、会ってるんだけど、少なくとも私の側はこうやって矛盾を抱えている。不毛な悩みで気が参ってしまうので、一定以上はもう考えないことでどうにか保っている。

 

 

 

 「今日は帰りな」と言った。この私がそう言ったなんて自分じゃ全く信じられないけど。え、行かなくていいの、みたいな反応をされてなんとなく泣きそうになったのを堪えて、いいよ大丈夫だから、みたいなことを言った。すると、そうかそうかとでもいうようにハグされた。たまにおじいちゃんみたいになったりたまに赤ちゃんみたいになったりする不思議な人だ。いつもなら帰って欲しくないムード出しまくりの自分がそう言ったのにおかしいと思ったのか、やけにハグをされたあと、顔を覗き込まれたりした。普段ならさっさと?帰っていくのに。あともう一つ珍しかったこととして、「また近くに会おうね」と言われた。いや、毎回言われてはいるんだけど、文字では伝わりづらい恋しさ的な感情が含まれた言い方だった。こっちは頑張ってやめようとしてるんだけどもうまく行かないもんだなあと思いながらも、そうしようか、と返事をした。もしくは私が会うのを止めたい雰囲気を少しでも出していたのがバレたのかな。わかんない。

 

 まだ新宿駅。見送ってあげるよというのを断って(これも私にしては珍しいこと)今回は私が相手を改札で見送ることにした。私の元を離れていくのを見ていた。茶番だけど、友達にしろ恋人にしろ、別れ際に人が何回もこっちを振り返ったりすると勝手に泣きそうになってしまう。遠く小さくなっていくのを見て、あとこっちを振り返るたびになぜだか涙が出てきた。

 

 

 水分が溜まると視界が悪くなる。ぼんやりしているけど、しっかりと姿を見送る。

 

 

 その時、私は、相手のふくらはぎが自分の想像より太くて筋肉質なことに初めて気がついた。一年半くらいこんな関係だけど、相手のふくらはぎのことに気が向いたのは初めてだった。

 

なぜかというと、私はいつも見送られる側だったから。向こうが私の全体像、この状況のように、自分から離れていき、どんどん見えなくなるみたいなことは会ったはずだけど、対して私は相手の全体像を見たことがあまりなかった。それに一緒にいる時は距離がゼロのことが多い。

 

 

 こんなことも気づかなかったのか、という気持ちと、私が「見送る人」に毎日なっていたとしたら、と考える。

 

 もしも毎日一緒に寝起きして外出していく好きな人を見送ることができたなら、私はその人のことについてもっと知れたはずなのだ。

 

ふくらはぎじゃなくても、背中の広さだとか、うなじだとか、日焼けだったりとか、正面で向き合ってる時には見えない部分にもっと気付けたはずだ。急に悔しくなって、悲しくなった。

 

私はこれまで恋人のいる人と付き合うときには、一緒に暮らすことは不可能でも一緒に生きることはできると考えていたし、そう考えていないとまた自分が崩壊してしまいそうでずっと怖かった。でも一緒に暮らさないと気付けないことがこんなに…すでにこんなにたくさんあるなら、私はこの一生の中でその人との脆い永遠の確約を得られないことはとてつもない苦しみのように感じる。なんだ、自分って全然ダメじゃん。全然ダメすぎてどうしようもないな、、