山の上

だいたい自分のために書いてる

孤独な旅へ

 写真は孤独であると写真論第一回の授業で教授が言ったのを反芻している。スナップばかり撮影している自分は、写真の孤独とは旅の孤独に似ていると感じる。それらを前にして、とても生物的な恐怖を媒介しながら撮影したり飛行機に乗ったり、未踏の地へのバス停に向かったりするのだ。

 

 仕事での地方出張を除けば、国内で独自取材は2018年の夏以来だ。その時私は屋久島の奥地に行った。羽田空港で友達を待ち合わせ、鹿児島に飛び、もう一人の友達(初対面)と合流し、船に乗った。屋久島と種子島に着くその船は、二つの島全ての食料だったりを九州から運んでいる。この文からは想像できない大きさだと思う。48時間船に乗っていた。

 

 結果として、私はあなた(屋久島)を全く受け入れることができなかった。3日間滞在したが外界があまりにも強靭過ぎて自律能力が狂った。というか、文化活動はおろか生存すら無理だと思った。ガス水道電気なし、寝泊りする小屋は、でこぼこした森の中を突如拓いた場所に立っている。壁がないので虫と同居した。夜になったら寝て、日が昇る前に起きないと、床の隙間から入ってきた小アリに体、髪の毛を覆われる(トラウマ)。自分が都会生まれだとは全く思わないが生活の勢いが環境によってこんなに崩されるものなのかと心底驚いた。疲弊した。そもそも1週間いる予定だったがリタイアした。私は川の水すら飲めない臆病者だ。

 

 この屋久島の旅はエクストリーム過ぎるかも知れない。場所はここには書かないけど、村は住人が6人しかいない山奥だ。集落と言えるのかはわからない。すごいことに、もうあの場所は治外法権…と行ったら誇張だけど、警察が来ることはまず無いので、昼間とかは全裸で生活している人もいた。一緒に行った友達によれば、シートベルトを締める方が危険なので運転中にベルトはしないらしい。

 屋久島の鹿を捕まえて、夜には捌いて刺身で食べた。ほとんどの家が手作りなので、私たちの住んだ小屋までとは言わずとも、自然とは共存して暮らしていた。家の中でカブトムシがとれる。あの住民は自然をコントロールしているし、自然と暮らすことが生活手段になっている。近くに流れる水をひき、落ちている木を燃やして風呂に浸かり、捕まえたものを食し、日が落ちたら眠り、日が出たら起きる。

 

 異文化だと感じるのは自分の生活が基準になっているからだ。屋久島の人には屋久島の人の普通の暮らしがあって当たり前だ。私はゴシップ的な目線で異文化を見たくないから現地に行った。決してスタンダードなんて無いといい続けたい。標準や基準は偏見を生むと思うから。だから孤独な旅へ、より遠くに行く。