山の上

だいたい自分のために書いてる

ジョンさんのはなし②

 

 

 2019年の3月、私はなんとも言えない感情に取り巻かれながらも20歳になった。ハーレムの大通りから2つ外れたところにある日本人の友人のアパートで三人集まり、ささやかな?誕生日を迎えた。大量のチキンと謎の青色のケーキを食べた。ケーキに関しては半分食べさせられたに近い。

 

私と友達二人はそのケーキの色がスマーフみたいだからと言って笑い、Youtubeを開いてスマーフのアニメをみながら過ごした。平和な誕生日だった。

 

 24時間365日、ニューヨークの電車は運行し続ける。電光掲示板は嘘をつくので、突然電車の行き先が変わったり、いきなり快速になったりまたはその逆もあったりするものの、私はニューヨーク地下鉄のことが嫌いになれない。

 

 電車は何が理由なのか、どんな時間にも40分に一本はやってくる。朝3時ごろに友達の家を出て、別の友達と浮浪者以外誰もいないプラットフォームで数の少ない電車を待っていた。私は切り出す。

 「そうそう、来月、マグナム・フォトのワークショップに出ることにしたんだ」

 「おお、本当に?いいじゃん」

 「プレゼンテーションと講評会だけだけど。600ドルもするんだよ。」

 「それ相応の何かが得られるといいね」

 

 彼も写真家なのだ。だからマグナム・フォトの話は詳しくしなくてもわかってくれたし、察してくれた。それがそれなりに試練になるということを。

 私たちは翌々月からルームメイトになるのだが、その時は何も想定していなかった。Dラインの電車がやってきて二人でハーレムからマンハッタンを南下し、34stタイムズスクエア駅で降りる。ここで友達とはお別れだ。別れ際に誕生日おめでとうって言ってくれた。

 

 一人でWラインの電車を待った。乗り込んでイースト・リバーを渡るとき、なんとなく不安に襲われた。そもそもあのワークショップは、誰でも参加ができるとはいえ、こんな幼稚園生みたいな英語しか喋れない自分が乗り込んでいいのか。全然わからないし、友達もいないし。新しい学校に入学する前みたいなソワソワ感とはまた違って、未来を予測して、絶対に恥をかきたくないという気持ちだけが先行した。だめだ、それなら、そんなこと考えるくらいなら、この時間を使ってプレゼンのスクリプトを考えよう。だめだ。しっかりしよう。

 

 

 

 

 と考えたはずだったが、当日は思いっきりミスった。ミスというか、何も伝わってなかったに近い。このことは自分のnoteに書いてある通り。自分で引用する。

 


語学学校に通い始めて3ヶ月後、レベル的にはやっと中学英語が全部終わったくらいの時、マグナム・フォトのワークショップになけなしの金で参加した。二日間開催のポートフォリオレビューで作品の英語プレゼンがうまくできず精神がボコボコにされた。午前と午後で別のグループ、エキスパートが付いてレビューを受けられるのだが、午前はうまく行って、午後はボロボロだった。

午前に担当してくれたエキスパートのPaul Moakleyさんと、そのイベントのボランティアで仲良くしてくれた友達のMatthew DeNicolaが私の拙い文章をうまく読み取ってくれたからだろう。しかも、Paulさんに関しては、私の写真を自信の携帯に記録してくれた。超泣けた…。ああNYはこんな最高なハプニングが起こるんだと思ったら、生まれきて、写真やっててよかったと本気で思えた。

そんな感じで、午後も頑張るぞ!と意気込んでいたのに、午後のパートではボコボコになった。慌てて自分でもプレゼンで何を言ってたか思い出せない。しかも、午後のエキスパートは私の今世界で一番好きなGregory Halpern氏だったのに、もう、勉強が足りないとしか言いようが無いから仕方ないんだけど、なんでこうもダメダメなのか。自分の番が終わって他の人がプレゼンしてる時に、5分くらい抜けてトイレで泣いた。しかも参加者100人くらいの中に、もう一人日本ネイティブの男性がいて、終いにはそいつに「アメリカで恋人作ると英語伸びますよ。僕も中国人の彼女とアメリカで付き合い始めてからうまくなったので」と言われて本気で腹が立った。

 

イベントのやってるニュージャージー州からブルックリンまで一人でトボトボ帰った。そもそも、当時私はネイティブが話してることすら全く聞き取れないレベルだったので、こんなプロ向けのイベントに出たことが間違いだったのだと考えていた。でも、友達は少しできたし(NYでできた現地の友達は、この機会で出会ったMatthewとTimが初めてだった)し、Paulさんに褒めてもらえて、少しだけどアドバイスも聞き取れた。というのは後から思えたことであって、その日いっぱいは、参加したのは決して無駄ではなかったと肯定するのに必死だった。

 

 

 とりあえず大変だったことがわかっていただけたなら良い。

 悔しさと惨めさでいっぱいだったところに在米日本人から言われた「アメリカで恋人作ると英語伸びますよ。僕も中国人の彼女とアメリカで付き合い始めてからうまくなったので」に私は心の中で珍しいほど激怒りしてしまった。

 

 もちろん恋人を作るために渡米したのではない。だけど私は語学力をあげたいがために当時は毎日10時間ほど英語の勉強に費やしていたのにこのザマだったので、おそらく対面でネイティブと話す必要がありそうだなというのはわかった。わかったよ、やってやる!あのカスやろう見下しやがって!!!!!!


 そういうわけで、私は対面でもっと人と出会い英語の向上に全力を捧げることを決意した。そして特別な人間関係を築いてやる。私の少ないニューヨークの知り合いを脳内でリストアップする。同じ学校の子達は完全に友達だし、了解は超えられないし超えたくない。学校の外だと急に限られてくる…が、あれ、そう言えばあいつがいたな。飛行機内でナンパしてきたあの男が。

 

 

 

 そして私はすぐ連絡をとった。4月始めのことだった。もっと詳しく言えば、ワークショップの終わった日のことだった。ジョンさんに会うのは機内で出会う以来、2ヶ月ぶりになる。翌週水曜日の13時、ユニオンスクエア近くのタイ料理屋さんで約束をした。顔はうっすら覚えているけど曖昧だ。

 

 話せるだろうか。

 

それしかもう考えられない。だけど怖くなる前に、トラウマが形成される前にどうにかしないとと思った。今になれば、そう行動するのは悪いことではなかったと感じられる。勇気って必要なんだね。