山の上

だいたい自分のために書いてる

本日のメモ(2020/10/11)

 

①果てしない田舎に行くと共通の話題が無くて必然的に天気の話をせざるを得なくなるのだが、雨の量や雲の量、風の強さの基準が違うために話が噛み合わないことが多いので、お互い理解できる話といえば晴天と夜の月の話しかないのかもしれないと思った。

 

 

 

②昨日まで京都で仕事だった。前日に現場入りして、夜はフラフラしたついでに京都大の知り合いに会うため彼の大学の研究室にお邪魔した。色々話を聞いて、それはそれで別に纏めるのでここで話さないけど、全体的にその人がとても健康であり、それゆえ活動できている印象を持ったので、ものすごく羨ましくなった。と同時に、健康でなければできないことが多すぎるので悲しくなった。わたしはいつまで躁鬱続けるんだろう。

 

 

 

③出会い厨という死語がある。自分がインターネット始めた2010-2015あたりまではよく使われてた気がする。当時はデーティングアプリ的なものも主流じゃなかったから、そういう類のインターネットは出会い系っていう言葉に括られていた(そしてそれは95%以上軽蔑っぽい印象を与える)。

 

おそらく出会い厨は、インターネットを通じて人と出会うだとか、アカウントの"中の人"に遭遇するみたいなニュアンスがより強かった時代だったからこそ生まれた言葉だった。当たり前のように顔写真を載せるとか名前を載せるとか、学校やら所属名を晒すのはたった数年前まででも気が引けたことだった気がする。そこまで中の人の情報が知り得なかった昔のほうが、お互いにネットストーカーがしづらいという意味で安全に会えた可能性があるし(わたしはこの頃、複数の友人が異性から脅迫に遭う現場の近くにいるので余計にそう思うんだと思う)、会ったとして責任逃れが簡単だった。性関連にしてもそれ以外の単なる出会いにしても。

 

そんなことを思った。

 

 

 

④友達と同棲の話をする。わたしの周りには同棲している友人がいて、わたしは同棲をしていないので、若干意地を張って「一人はいいぞ、いつでも全裸で寝られるし、好きなだけ起きて本を読めるし、人間関係だって制限されない」と言う。まあ、人と暮らすことの安心感を語られたら、そうかいそうかい!と返すしかないのだが、わたしにとっていま重要なのは一人で本を読んで、同じ曲を飽きるまで聴いて、ぬいぐるみに話しかけること、時々フラッシュバックに苦しんで追加で投薬するなど、人には大概理解されなかったり異常だと思われてしまっても仕方ないようなことだ。そのなかで一番大切なのは人間関係を制限されないこと。ついこの前大学で、友人が紹介してくれた大学の別学科にいる男の子と不意に自動販売機の前で居合わせて、その子がとても自然な感じでリンゴジュースを買ってくれた。わたしは学校内で恋愛を殆どしたことがないのでマインド童貞だからこんなことを感じるんだと思うけど、こういうのが恋愛の始まりなのかとちょっと感動した。そのあとわたしの家に連れて帰ってもいい自由(余裕)が常にあることはすごく精神にいいという話だ。