山の上

だいたい自分のために書いてる

寂しさに関する記事を読んだのでメモ

https://telling.asahi.com/article/12844276

これを読んですごくハッとしたので雑に思ったことをまとめておく。

 

まず、寂しさや孤独というものに焦点を当ててくれたことに対して本当に救われた気持ちになった。私は数年間ネットに張り付いていて、(特に)性の話のハードルがいい意味で低くなった気がする。それは話す必要性を皆感じ始めたからだと思う。一方で、寂しさや孤独のような話は曖昧で言語化しづらく、人に話すメリットを捉えにくいなあと感じていた。

寂しいから他人と一緒にいるという行動への違和感もずっと前から感じていた。

自分の経験で例えるならば、一人暮らしが寂しいから友達を家に呼んで遊んで見送った後途轍もない不安に襲われる・精神が辛い時に友達と遊んだ後の帰りの電車でどうしようもなく悲しくなる みたいな。その原因はわからないけど自分はそういう身体なんだと思う。だから辛い時や寂しい時は人に会わないように自然と行動していたわけだけど、それを自覚したのは今日その記事を読んだ時だ。

また、会っていなくても恋人という存在がいるだけで孤独が柔らぐような感覚もあって、それも不思議だなあと思った。ただ単に近くにいることで寂しさを埋めることはできないことを確認させてくれたことがよかった。

 

一般的には、結婚というものが極端にしか語られていないんですよね。
「結婚できた!これでもう孤独じゃない!!」というように幻想的で良いものとしてか、もしくは「ドロドロ不倫にセックスレス。結婚なんて良いもんじゃない。離婚だ!」みたいなマイナスなものとしてか。その中間の部分が語られることってすごく少ないように感じます。
でも、その中間が「本当の日常」なんです。自分も相手も、結婚をしても孤独なのだという事実。そこが語られることがとても少ない。

 

これは確かにそうだと思う。中間である、大部分=日常 をどうやって過ごすかわからなくて、なんやかんやで将来同棲や同居を決断できなさそうな自分を時々想像する。二人で暮らしていく中で定期的にやってくる自身の孤独に向き合うのが本当に怖いし、立ち向かうのがめんどくさいと感じる自分がいる。今遠距離恋愛してるけど、もしかしたらこれがちょうどよかったりして?とかは冗談ではなくよく考える。(相手の孤独には寄り添ってあげたいんだけど。)

どう苦しむかを考えたい。自分の精神的な問題にいざ直面した時に、どうしたらいいか何もわからなくなってしまうけれど、その時のために日頃から二人でどうやって苦しみ、解決したらいいのか、解決できずともどうするのが安心を得られるに近しい答えなのか話す必要があると思った。

実際、恋人が私に何をしてもらいたがっているか考えたことは山ほどあるけど、最終的に相手にしたことが合っていたのか、間違っていたのかはわからないし答え合わせをするわけにもいかない。自分も、言葉で言わずとも相手に感情を汲み取ってもらおうとすることが多すぎたような気がする。自分はそんな図々しいことをできるまでの信頼を今まで相手に対し積み重ねて来れただろうかともう一度考えてみたい。