山の上

だいたい自分のために書いてる

修行前⑴ 旅先でできた友達の話

※エッセイのためのメモ書きとして、過去の記憶を整理するために書きました。今回は留学の一つのきっかけになった友達の話です。

 

 

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 留学の前にアメリカには三回来ている。

 

 勉強のできない高校生だったので、どうにか日々を充実させるべく趣味でやっていた写真を本格的にやることに決めて美術大学に入った。

課題をこなす傍でストレスにならない程度の写真家活動を続ける間に、高校の後輩の紹介でテキサス出身のプロモーターと知り合った。彼はマスロックと呼ばれる、日本ではまだ比較的マイナーだったその音楽シーンにフォーカスして、アメリカから定期的にバンドを招致していた。私はミュージシャンが来日してライブをする度に記録係を任されていて、その撮影をする以前と比べたら英語の飛び交う現場に行くことがとても多くなっていた。

 

 そのプロモーション会社にはインターンとしてクルーに加わっていて、2017年の夏が終わりかけたころに話を持ちかけられた。日本のバンドのツアーを3週間ほどテキサス周辺でやるから、その撮影に同行しないかという誘いだった。

私は二つ返事で引き受けた。

 

 

 初めてのアメリカには2017年12月25日到着。

東京とテキサス州ヒューストンの往復便は、57,000円という破格の物を選んだ引き換えに、アメリカ国内での乗り換えが二回もあった。最初に降り立ったロサンゼルスの地を空から見たときの感想は「大陸は本当に存在した」。コロンブスの気持ちを一方的に理解したような感覚だった。

 

 2回目のアメリカには1回目の半年後である2018年7月に、同じ日本人バンドのカリフォルニア周辺ツアーだった。

アリゾナ州フェニックスで落ち合い、ラスベガスを抜けて西海岸へ。海沿いに広がる国道101号線を毎日ドライブしながらロングビーチとロサンゼルス、サンフランシスコを訪れた。

 

 

 

 この2回の渡米を通して、私はなぜだか友達がたくさんできた。特に印象深かった四人のことをメモ書き的に残しておきたいと思う。

 

 

 

  1. マリオは初めてアメリカでできた友達だ。テキサス・オースティンでのあの夜のライブで一番キレッキレのドラムを叩いていたが、演奏が終わると物腰の柔らかい青年に見えた。マリオはよく話しかけてきてくれて、そして私を若干連れ回して友達を紹介してくれた。自分一人じゃ地元の人に話しかけづらいのを手助けしてくれた。別れ際に彼は「自分にとっても英語は最初の言語じゃない。だから気持ちはよくわかるんだ」と言っていた。



  2. ディエゴはアメリカの最南端であるラレドという街で、私たちのクルーが演奏していたのを見てそれを絶賛し、ライブ後にこれを自分の大学で発行しているZINEに載せたいと話しかけてきた。地元の美大に通う学生で工芸科的な専攻らしい。ディエゴは私が履いていたリーボックの靴を褒めたあと、旅の調子はどうだい?と話しかけてきた。忙しくて今のところ何もお土産を買えてないよと話すと、じゃあこれがお土産になるよと言って私に500メキシコペソ札を握らせたのだった。それがとっても嬉しかった。そのあとメキシコに行く機会はあったが、その札は旅で使った貨幣とは別にして今でもとっておいてある。

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    左から3番目がディエゴ


  3. バーバラはロサンゼルス南部に位置するロング・ビーチでのライブで対バンしたSliceというバンドのギタリストだった。基本的にアメリカ人は"察する能力"を持たない中でバーバラはそれを持っていたので、私にはすごく日本人的に見えた。とは言っても、彼女は起きている間のほとんどの時間でマリファナを吸っていて、常にどことなくヘラヘラしていた。あと、バーバラは私の写真を気に入っていて、私がフィルムを現像したいとぼやいたら近くの現像所を調べて電話までしてくれた。

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    真ん中がバーバラ

     



  4. レイはサンフランシスコで出会った日系アメリカ人のギタリストだ。レイに出会った時、人生で初めて日系人と出会ったという興奮で胸が高鳴ったのを覚えている。アメリカでは想像以上に日本人に出会わないから気持ち的に枯渇していたんだと思う。その日ライブハウスに入ったら共演者でやけにアジア人っぽいのギタリストがいるなと思っていた。ライブ前に英語で挨拶したら、「あ、日本語話せます」と英語訛りの日本語で返されて恥ずかしかった。向こうも日本語を話す機会は多くないのか、お互いに若干興奮気味のやりとりだった。『マジ』を使うタイミングや、敬語が時々混じった話し方をしていたのを今でも思い出せる。そのあとステージに上がったレイはキレキレのタッピングを披露した。それを見て少し泣きそうになった。アメリカで数少ない日系人であり自分と同じ女性が生き生きしているのを見ていたら、色々と勇気付けられるものがあった。

    ちなみに世田谷に住んでたこともあるらしい。

    レイのインタビューがあったのでマスロックに興味のある方はみてみてね!

    www.sadplanetarium.com

 

 

 

 

 私はとにかく常に不思議だった。なぜみんなが自分に対してこんなにも仲良くしてくれるのかわからなくて戸惑っていた。だが、人と接していくうちに…また人に優しくされるうちに、段々と自分も人に優しくできていることがわかってきた。

その時、壊れていた自尊心の破片が集まってきて再び形を成してきているような気がした。すごく幸せな気持ちになった。当時は自分の外見に悩んでいて、てっきり外見のコンプレックスのせいで自尊心が欠けているのだと思っていた。実際そうなのかもしれないけれど、別の手段で自尊心を若干取り戻せるとは思ってもいなかった。

 

あとこれはアメリカあるあるだけども、

路上で写真を撮っていると「そのカメラ俺も持ってるよ!」と話しかけられて写真の話をしたり、ライブハウスのバーテンダーが私が未成年だとわかるとドリンクをタダにしてくれたり。ライブ終わりに演奏よかったよ〜と気軽に話しかけてくる人とかを見ていると、この国は他人と友達の境界が曖昧で良いなあと思うようになった。

 

私もそうやって気軽に話しかけられたらなあと思うのだが、それを一歩手前で拒むのが言語の壁だった。もっと友達のことも知りたいし、通りすがりの人にだって話しかけたい。英語やってみようかな〜と、帰りの飛行機の中でぼんやり考え始めた。